Introduction.1

風水って何?

風水とは、今から約四千年前に中国で発祥した、「気」の力を利用した環境学のこと。

そういうと難しく聞こえるかも知れませんが、風水とは、衣・食・住、行動など、自分の環境すべてを使って運を開いていく、いわば、開運のための環境学なのです。「環境が運を決める」これが、風水の基本的な考え方です。本来持って生まれた運は、本人にはどうすることも出来ません。でも、その運をどんどん増やしていける方法があるといったらどうでしょうか?

その方法を示すのが風水なのです。風水とは、自分に影響を与えるあらゆる環境を使って、運を開くためのマニュアルと言えるのです。運が悪いと思う人は、まずは自分の環境を見回してみましょう。必ずそこに自分の運を落としている原因を見つけることができるはず。それを取り除き、運を呼び込むための風水を実践することで、どんな人でもかんたんに運のいい人になれるのです。

Introduction.2

李家幽竹の風水について

もともと風水は、中国で発祥し、アジア各地に伝来した学問です。

古来、風水は、軍学として発展し、また、良い土地(龍穴)を探しだして、その上に家やお墓、大きくは都市を建てるために使われてきました。日本でも、推古朝(602年頃)に伝来し、平安京をはじめとする都づくりに用いられてきました。
中国文化の影響を大きく受け、また、もともと山岳信仰の強かった韓国では、風水は国学として政に用いられ、発展してきました。 中国と違って、国土面積の狭い韓国では、風水は、「身近なところから運を鍛える学問」として受け入れられ、特に、李朝時代になって、儒教が盛んになると、より、実際的に生活に用いるための風水が体系化していったのです。

そのため、「生活すべてを使って運を鍛える」という発想がより強く表われているのが「李朝風水」なのです。

Introduction.3

陰陽五行説って?

風水の基本は、「陰陽五行説」にあります。

「陰陽五行説」とは、自然界に存在する全てのものは「木・火・土・金・水」の五行に分類され、「陰」「陽」いずれかの性質を持つという考え方。
「木」は木製のもの、「火」はプラスティック製品や化繊類、「土」は陶器、「金」は金属や鉱物、「水」は暗い場所に置いた、陰に属するガラス製品(明るい場所のガラスは陽に属し、「火」になる)などに当てはまり、また、物だけではなく、人も女性は「水」、男性は「火」に属すると考えます。
「陰・陽」は、明・暗、新・旧のように相対する性質を持ち、女性(陰)と男性(陽)がそうであるように、お互いを支え合っている存在。
陰がなくては陽は成り立たず、陽がなくては陰は存在しないのです。

このバランスがものごとの調和を保つものとするのが「陰・陽」の考え方です。

Introduction.4

五行の相性って?

「五行」(木・火・土・金・水)にはそれぞれお互いを生かし合い、運気を強めていく、「相生(そうじょう)」の関係があります。

例えば、金属は土の中から生み出されるため、「金」と「土」には「生まれる」という気が生じます。
お互いに生かし合う関係から、これを「相生(そうじょう)」と呼びます。

一方、「火」と「水」の関係のように、お互いが対立し合って運気を低下させる「相剋(そうこく)」の関係も存在します。
「水」は「火」を消してしまうため、生み出す力が存在せず、お互いの気を消滅させてしまいます。
よって、この関係は「相剋(そうこく)」となってしまうのです。

「相生(そうじょう)」の関係を上手に使い、「相剋(そうこく)」となるような関係を避けることが、風水を実践していくための基本となります。

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Introduction.5

方位ごとの運気について

風水では、方位についても「五行」をベースに考え、それぞれの方位の運気を司ると考えます。
方位の持つ運気や相性のいいカラーを上手に利用してみましょう。

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[画像]北
恋愛運 / 金運 / セックス運 / 信頼 / 秘密も守る力
[画像]北東
北東
相続 / 不動産運 / 貯蓄運 / 転職 / 転居 / よい変化
[画像]東
仕事運 / 発展運 / 勉強運 / 若さ / 情報 / 音
[画像]東南
東南
結婚運 / 恋愛運 / 旅行運 / 緑全般 / 香り
[画像]南
人気運 / ビューティー運 / 知性・直感力 / 芸術 / 別離
[画像]南西
南西
家庭運 / 健康運 / 不動産運 / 安定 / 努力
[画像]西
西
恋愛運 / 金運 / 商売運 / 楽しみごと
[画像]北西
北西
出世運 / 玉の輿運 / 事業運 / グレードアップ / 人からの援助
[画像]中央
中央
総合発展運
Introduction.6

風水の歴史

◇風水発祥の歴史

5千年を数えると言われる風水の歴史は、中国の神話上の名君である黄帝が天より奇門遁甲を記した天書(風水書)を賜り、中国を統一したことから始まっていると言われています。
風水最古の経典とされるのは、その後に制定された青烏子(せいうし)が記した「青烏経」とされていますが、風水に関する記述が実際に確認されているのは、中国で最も古い史書である「尚書」の中に、地形地勢を「卜宅」により視察した経緯が記されており、それによって少なくとも2700年前には「風水」の存在が確認されていることがわかります。

前漢の時代になると風水は大いに発達し、「宮宅地形」「「堪輿金匱」など様々な風水書が記されていたことが「漢書」から知られています。
地理学や相地、卜宅などと呼ばれていた風水がはじめてその専門用語で呼ばれるようになったのは、4世紀頃。
晋代の郭璞(276~324)が書いた「葬書」の中で「気は風に乗って則ち散じ、水に界れば則ち止まる。ゆえにこれを風水という」という記述が用いられた後「風水」という言葉が使われるようになりました。この「葬書」(別名・錦嚢経)は、風水書の原典とされ、今なお、多くの風水師の教典となっています。

◇風水発展の歴史

風水の発展には、大きな2つの流れがあります。
一つは、中国東南部の江西省で発展した風水の一派「江西派」。
この派は、山、水、砂、穴という地勢を読むことに力点を置き、目に見える具体的な地理、形勢の解読が主眼に置かれているため「形勢を主とする派」として「形勢派」(巒頭派)とも呼ばれます。この派は、山の形など地形を重視するため、一般の生活には取り入れにくい部分があります。

もう一つは同じく中国東南部の福建省で発達した「福建派」。
福建派は、地相を読むことはもちろんですが、それ以上に天文と地理の相応関係に力点を置いているのが特徴です。
この福建派は、近年の風水師も鑑定時に使用する羅盤と呼ばれる方位盤を綿密に活用して、五行や九星、八卦、十干、十二支などを用いて吉凶を判断しました。
そのため、この派は理の原理によって地を読もうとすることから「理気派」とも呼ばれます。
理気派の利点は、あらゆるものが五行に帰納されるため、時代や社会がどのように変化しても普遍的な原理に基づいて判断できるということにあります。
現代社会での風水の活用は、この理気派によるものと言ってよいでしょう。

◇風水の歴史

このように発展した風水は、王城地や王都の設営、墓所の設計などを総括する高度な環境工学、戦においては戦略法などを詳細に示す軍学としてその地位を確立させていきました。
「すべての道は長安に通ず」と謳われた大唐の都の設営、明朝から清朝そして現代まで栄え続ける北京など、中国の歴史上栄えた多くの都はすべて風水によってつくられたのです。
戦においても「三国志」で名高い諸葛孔明をはじめ、中国史に名を刻む多くの高名な軍師は風水を駆使した兵法を実践する風水師でもあったのです。

◇日本における風水の歴史

日本に風水が本格的に伝来したのは、推古天皇の時代、602年頃です。
日本に風水をもたらしたのは、暦法(太陰暦)を伝えた人物として歴史に名を残した百済の僧侶・観勒でした。
観勒は暦法のみならず、数々の風水書を持ち込み、日本に本格的な風水をもたらしました。
観勒を日本に招いた人物は渡来人と親交の深かった蘇我氏で、蘇我氏を通じて風水は日本の歴史上最も重要な人物・聖徳太子と出会うことになります。
これ以降、藤原京から始まり平安京に至るまで日本の遷都の歴史は風水とともに歩むことになるのです。
そのように栄えた風水が日本の歴史から消えたのは、徳川家康が天下を取り、江戸幕府が開かれた後のことです。
風水を知る軍師・天海僧正と共に天下を手にした徳川家康は天下平定のため、その後、何人も風水を使って天下を夢見ることのないよう風水を封印し、歴史の闇に葬ったのです。

3分で分かる幽竹の風水